1968年の「赤字83線」への取り組みの失敗を経て、1980年の国鉄再建法成立とともに始まった「特定地方交通線」への取り組み。
奇しくも同じ83という同じ数字となったこの線路たちの内、38路線は第三セクターや私鉄へ転換され、残りの45路線はバスへ転換され廃止された。
この勝田線は「赤字83線」「特定地方交通線」(ちなみに第1次廃止対象特定地方交通線)双方に名を連ね、1985年4月1日に全線が廃止された13.8kmのローカル線である。
しかし、この勝田線に関しては未だその廃止を疑問視している人も多い。
途中から並走する香椎線が現在1時間に2〜3本のダイヤを組まれているのを見れば分かるように、勝田線の沿線地区の人口は廃止時期よりも増加し、後で触れるが大型郊外ショッピングモールが出来るなど、福岡近郊のベッドタウンと化している。
また起点の吉塚駅は福岡県庁の最寄り駅であり博多駅の隣駅でもあって、ある意味都心に直結した線路だった。
それから考えても、国鉄が「赤字だから廃止」とかたくなに考えるのではなく、もっと早く都市間輸送に目覚め、その利便性さえ図れば生き残れた線路ではないかと思ってしまうのだ。
油須原線の項でも書いた「時代の先を読めない役人たちの姿」がここにも現れているような気がする。
生き残れたはずなのに、頭の固い役人たちの犠牲となった勝田線。(敢えて苦言を呈する表現にしておきます)
しかし、その勝田線跡はそのほとんどが遊歩道化され、地元の方々の憩いの場所となっている。
その勝田線の跡を始点から終点までほぼ全線を徒歩で追ってみた。
(注)勝田線は初めての現地だったので自分が分かる場所から行ったため、実際にはまず宇美駅から筑前勝田駅跡へ向かい、そこで折り返して志免駅跡へ向かい、再度志免駅跡から宇美駅へ戻り、その後分岐点から再び志免駅跡へ向かう形で追っていますが、記事では便宜上分岐点から筑前勝田駅跡へ向かう形で構成しています。
また吉塚駅から柚須駅までと、筑前勝田駅跡付近の写真は10月17日に撮ったものを追加しています。
勝田線のウィキペディアはこちら。
それでは、始点だった吉塚駅から。
























